
榮太樓の包装紙はいつからあるのですか?
現在の包装紙は、平成22年(2010)頃より使用しており、昭和39年頃から平成12年まで用いられたデザインを復刻したものです。多くのお客様にとって、見慣れたおなじみの意匠ではないでしょうか。
明治・大正期のものはもちろん、昭和初期から戦前までの包装紙は、震災などの影響で焼失し、一つも残っておりません。日々店頭で商品に触れてきた先代でさえ、当時の包装紙の記憶が全くないとのことです。
その理由として、当時の販売形態が大きく関係していると考えられます。
商品には掛け紙に「のし」や「水引」が用いられ、お客様はそれを持参された風呂敷に包んで持ち帰ることが一般的でした。現在のように包装紙で包み、さらに手提げ袋に入れるという風習はなく、包装紙そのものを使用する機会が非常に少なかったことによるものと思われます。
戦前当時、店頭で働いていた従業員の証言については榮太樓物語には次のように書かれています。
「当時は、風呂敷を使用することが多く、店頭では包装紙を使うことは少なかったが、各商品共通の一般包装紙としては、薄黄色の地紙に茶色で三種類の松葉を所々に散りばめ、全版の四隅に松のマークと店名が印刷してあった。」
この証言から、現在のように広く用いられる包装紙とは異なるものの、戦前においても共通の意匠を持つ包装紙自体は存在していたことがうかがえます。
戦後になると、一般用の包装紙が広く用いられるようになり、婚礼用・仏事用・季節菓子用などの特別な用途を除いても、これまでに七度変更が重ねられてきました。
写真の包装紙は、昭和20年代後期から昭和30年代後期にかけて使用されていたもので、代表商品である「梅ぼ志」や「甘名納糖」「玉だれ」などの名が散りばめられています。
包装紙は単なる包材ではなく、その店を象徴する大切な存在です。時代の移り変わりとともに姿を変えながら、榮太樓の歴史とともに歩んできた象徴の一つといえます。















